自己紹介
愛知県岡崎市出身 岡崎市在住 45年
昭和46年11月18日生まれ
義理・人情に厚いさそり座のO型
昭和59年 岡崎市立 岩津小学校卒業
昭和62年 岡崎市立 岩津中学校卒業
塗装歴 30年
保有資格
1級建築塗装技能士・外装劣化診断士・itcサーモグラファーレベル1
19歳の時に個人事業「川口塗装」をスタート
平成14年 有限会社川口塗装設立
最近の活動内容
ラジオ局【エフエムEGAO】行列のできるマイホーム塗替え相談室 出演中
(社)市民講座運営委員会主催 塗替えセミナー【塗装・リフォーム部門】講師
ボランティア団体【塗魂ぺインターズ】所属 日本各地のボランティアに参加
雨もり119中部ブロック総責任者
平成11年に結婚、平成12年には長女が誕生
妻と長女の3人家族
休日の趣味は、渓流釣り・山散歩・神社仏閣巡り・ドライブ・お酒・・・(笑)
塗装業界に入った頃は・・・
17歳の時、友人に誘われ軽い気持ちでこの業界に飛び込み、塗装見習いから始めました。
修行時代の私はお世辞にも真面目とは言えず、毎日毎日を好き勝手に暮らしていました。
その頃は仲間と気楽にペンキを塗る事が楽しくて、見習いとして熱心に仕事をするわけでもなく、ただ毎日なんとなく出勤して、日が暮れたら帰るだけ。そんな生活を送っていました。
本気で塗装の腕を上げたいと思った出来事
見習いで塗装の仕事を始めて2年が経ち、
他の会社の見習いさんと一緒に仕事をした時でした。
私と同じくらいの歳の人が軽々とこなす作業に私は、まったくついていけませんでした。
塗装の経験年数も私とほとんど変わらないのに、作業のスピードがまるで違ったのです。私は意地になって必死でペンキを塗りました。
自分のプライドを守るために必死で動いたのですが、差は開くばかり・・・結局、私の右腕は力が入らなくなってしまったのです。
自分の右腕をさすりながら、「あいつはスピードが速いだけだ。塗装の仕上がりは俺のほうがキレイに決まってる!」と、心の中で思いながら、彼の塗った部分を確認しました。
その瞬間「だめだ・・・」と情けなくなり、その場から逃げ出したい気持ちになりました。
そうです。仕上がりも彼のほうが数倍もキレイだったのです。
「負けた!」完全に負けたと思いました。
次の日も彼に挑戦したけど、まったく勝てない。
どうしても勝てない。冷静に考えれば勝てる訳ないですよね。
2年間適当に仕事をしてきた私が、2年間マジメに取り組んできた彼に勝てるはずがありません。私は初めて時間を無駄にしてしまった事を後悔しました。
「絶対にあいつに勝つ!」
ここから私の本当の修行が始まりました。
今までの気持ちを捨て、仕事に一生懸命になれたのも、この瞬間からでした。
気持ちを切替えた時から、私を応援してくれる沢山の人達と出会う事ができました。私は運のいい人間です。
そして私のことをわが子のように可愛がってくれる年配の職人さんが、私の背中を押してくれたのです。
「性根を据えて必死でやれば何だってできる!お前ならできる!」
そして、19歳の時に独立し、個人事業「川口塗装」をスタートします。
独立と言っても「何もできない男」の挑戦でした。
自分より年下の職人さんに仕事を教えてもらう事も多々ありました。
プライドなんか捨てて必死に仕事をおぼえる事、失った2年を取り戻すためだけにガムシャラに働きました。
気がつけば、仕事をくれる親会社にも恵まれ、私にも従業員ができました。
この業界でのズルさを目の当たりにした葛藤の末・・・
何年か過ぎ、恥ずかしくない技術も手にいれた時、今度は商売のズルさを目の当たりにしたのです。
「この現場は予算がないから、本来は2回塗りなんだけど1回塗りにしといてな〜」
「お客さんにバレんようにな〜」
この言葉は私に仕事をくれる親会社からの典型的な手抜き工事の指示でした。
正直に言うと、その時の私は「そんな事をしては絶対にダメです」と職人としてあたり前の一言が言えませんでした。
親会社に逆らえば仕事をもらえなくなる恐怖があったからです。
せっかく立ち上げた自分の会社。
そして、従業員の生活、自分の生活・・・
それを失いたくない、守りたいという気持ちで、どうしても親会社に逆らうことができませんでした。
これは、心の中の「もう一人の自分」との葛藤が始まった瞬間でもありました。
お客さんに申し訳なく感じながらも
「親会社の指示だから、俺は悪くない」と何度も自分に言い聞かせましたが胸の中は曇ったまんま・・・
この葛藤が今思うと『在り方』だと感じています。
ある日、お客さんが、休憩時間にお茶とお菓子を差し入れてくれた時に
こんな言葉をかけてくれました。
「丁寧にやってくれるんですね!ありがとう。あなたみたいな職人さんで良かったわ」
私はその一言に心臓を撃ちぬかれました。
人は騙せても、自分は騙せないのだと。
「もう、これ以上お客さんを騙したくはない!」
親会社との決別の時、昔、私を可愛がってくれた職人さんの言葉が頭に浮かびました。
「必死でやれば何だってできる!」
私は勇気が湧いてきました。
「そうか!自分が親会社になればいいんだ!こんな良い事をなんで今まで思いつかなかったんだ」と私らしいプラス思考でした。
自分で仕事を取ってこようと決めたとき、また素晴らしい出会いが待っていました。私の思いに共感してくれた営業マンとの出会いです。
よしっ!またイチからのスタートだ!
川口塗装の新しい歴史をスタートさせよう!!
あの始まりから現在の思い
新しい歴史は大げさだけど、「必死でやれば何とかなるだろう」
まさに小船で大海原に出るようなものでした。
私にあるのは素晴らしい従業員とやる気だけだったけど、気持ちは晴れやかでした。胸をはって仕事ができる喜びが何より嬉しかったのです。
あの挑戦を決意した日から10年以上が経ちました。
この地元、岡崎に沢山のお客さんができて、お客さんの喜ぶ顔が沢山見れて、心晴れやかに仕事ができる。なんて素晴らしいことだろう。
平成11年には、私にも家族ができました。
その翌年、可愛い子供にも恵まれて、幸せいっぱいの日々です。
子供の成長とともに、自分の昔を思い出します。
不良学生と言われていた中学時代。
沢山の人を傷つけたし、人にも裏切られた。
口うるさくて嫌いだった両親の気持ちも、親になって初めて分かります。
子を思う気持ちは純粋で暖かいものなんだと、両親に心から感謝できるようになりました。
そして、私はこう思います。純粋な気持ちでお客さんと接する事が、塗装業者の本来の姿でなければならない。
「自分が幸せになりたければ、人を幸せにすることだ」と。
若い職人さんにもこう伝えています。
「自分の家だと思って仕事しなさい。気持ちを込めればもっとキレイに塗れるよ」
28年間の経験はこの先、もっと沢山の人を幸せにできるはずだと私は信じています。
いや必ずできます。
だって私は塗装が大好きだから。